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お葬式に行くと、喪主の挨拶状とともにお茶を渡されることが、最近とくに多くなったような気がします。もともと仏事にお茶はつきものというような感じがあります。たとえばお茶湯(ちゃとう)といって、仏前にお茶を供えることは広く行われていますし、徳島県あたりでは、小さな手桶にお茶を入れてお供えしますが、この桶を茶湯桶と呼んでいます。
お茶はもともと禅の修行と深い関係があったところに、とくに日本では葬儀をお寺で行ったので、自然に仏事とお茶とが関係を持つようになったとも考えられます。
しかし、棺桶にお茶を詰めるという話もよく聞きます。それは死臭を防ぐためだとされ、お茶がもっている消臭効果が役立っているようです。同じような話はミャンマーでも聞いたことがあり、日本だけの習慣ではありません。
さらにいえば、お茶が境界を区切る象徴的な意味をもっていることとも関係があります。茶の木は畑や屋敷境の目印になりましたし、お茶を飲むことがある境を越える意味をもつことがあったからです。たとえば、ある家を訪れた時、お茶が出れば、その家に受けいれてもらえたことを表します。つまり茶を飲むことは境界を越えることを示すことになります。人が亡くなり、この世からあの世に旅立つ、その境を越えることが、お茶を飲むことによって示されるのです。葬式にお茶を配るのは、本来はその場でお茶を飲んでもらうという意味があったのでしょう。お茶を配ることで故人との別れを確かなものにする、香典返しのお茶にはそんな意味が込められていたようです。
(中村 羊一郎)
仏壇の茶湯桶
参考文献および写真提供:旧金谷町お茶の郷博物館