ホーム > お茶百科事典 > 日本のお茶 > お茶師と手揉みの流派

ここから本文です。

喫茶文化の紹介

お茶師と手揉みの流派

NHKの人気テレビ番組、「日本人の質問」にこんなのが出たことがありました。青透流、倉開流、鳳明流、小笠流などいろんな流派の名称をあげ、さて、これは日本の技を伝える流派ですが、いったい何を作る流派でしょうか、というのです。選択肢は、お茶、座布団、竹籠、せんべい、という4つ。結果は正解者なし。ということは、製茶法に流派があるなんて信じられないというのが世間の常識、ということなのでしょう。

今では名実ともに全国一の茶産地、静岡県も江戸時代から明治初期までは製茶技術の上では宇治や近江(滋賀県)、伊勢(三重県)などにくらべてずっと遅れていました。茶農家では先進地から職人を招き、必死で新技術導入に努めました。製茶職人は静岡県では茶師と呼ばれました。

もちろんこの頃はすべて手揉みです。生葉を蒸してから、和紙を貼った焙炉にのせ、2時間半以上をかけて製品に仕上げます。それは外見、味、香り、出したときの水の色など、さまざまな観点から評価され、結果は価格として明示されますから茶師は必死です。土の性質や日当たりなど諸条件によってその性質が微妙に異なる茶葉を、いかに美しく、しかも美味しく揉み上げるかということを競い合う中から、自分の技術こそ一番であるという自負をもった茶師が輩出し、流派を名乗るようになりました。講習会を通じて大勢の弟子を養成した師匠には、弟子たちが流派名を書いた大きな幟(のぼり)を贈りました。明治末年、互いに切磋琢磨しあった各流派のよい点を集めた静岡製法が完成しました。手揉みの技は、現在の製茶機械の基本原理となっています。

(中村 羊一郎)

手揉みの流派

手揉みの流派

静岡の手揉み製茶

静岡の手揉み製茶

手揉み技術を伝える

手揉み技術を伝える

参考文献および写真提供:旧金谷町お茶の郷博物館