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喫茶文化の紹介

松尾芭蕉と茶のにおい

駿河の国といえば、お茶。広沢虎三の浪曲にも、「旅ゆけば駿河の国に茶のかおり」という一節があります。この文句は、松尾芭蕉の「駿河路や はなたちばなも 茶のにをひ」という有名な俳句を下敷きにしています。

元禄7年(1694)、芭蕉は江戸をたって東海道を京に向かいます。しかし途中で大井川の川留めにあってしまい、島田で4泊しました。そのとき、友人への手紙に添えて贈ったのがこの俳句です。

意味は、さすが駿河は茶の産地である、香りの強いタチバナさえも茶にはかなわない、ということになります。国文学者はすべて、この茶のニオイというのは新茶の香りだと解釈していますが、ちょっと待ってほしい。芭蕉がこの句を詠んだのは旧暦の5月中旬。太陽暦に換算すると6月初めになります。新茶の季節はとっくに終わっています。では、タチバナの香りすら圧倒するという茶のにおいはどんな匂いだったのでしょうか。

現在でも西日本の山沿いでは自家用の番茶を作っているところがたくさんあります。ほとんどは生葉を釜で炒り、ムシロの上で揉んでから天日干しをしたものです。お茶を炒るのですから、非常に香ばしい、いい匂いがします。こういうお茶はもちろん新芽も使いますが、かなり固くなった葉も平気で製茶しました。新芽を蒸し、焙炉で揉みながら乾燥させる現在の煎茶の製法が完成したのは、この年より40年ほど後になります。

芭蕉がかいだ茶の匂いは、黒製とも呼ばれた釜炒り茶の強い炒り香であったとみて、おそらく間違いないでしょう。

(中村 羊一郎 )