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リプトンの挑戦

紅茶のメーカーにリプトンという大きな会社があります。サーの称号を授けられているサー・トマス・リプトンが1889年に紅茶を扱い始めたのが最初です。

リプトンはイギリスのグラスゴーで1850年に生まれました。家族は食料雑貨店を営んでいました。彼は幼い頃から商売に興味を持っていました。14歳になった彼は8ドルほどをポケットの中に入れアメリカに渡りました。農場労働者として働いた後、ニューヨークの食料雑貨品店の店員になりました。彼はここで多くのことを学びました。

1870年、リプトンは故郷のグラスゴーに戻ります。父親の店でアメリカ式の広告を取り入れました。「商売のもとでは体と広告」の信念と卓越したアイディアで挑戦は続きます。1880年にはチェーン化をした店は20件を超え、百万長者になっていました。1889年になると紅茶の販売を始めます。パケットティーの名で呼ばれる袋入りのブレドティーは人気を博しました。その次の年にはセイロンで廃園されるコーヒー園を次々に買い求めました。有名な「茶園から直接ティーポットへ」というスローガンが生まれました。

仕事の成功で潤った彼はスペイン・アメリカ戦争や世界第一次大戦の兵士に寄付をしました。時のイギリス女王ヴィクトリアからサーの称号をもらいます。

さらに彼の挑戦は続きヨットレース、アメリカンカップの帆にリプトンの真っ赤な広告をつけて挑みます。全て惨敗に終わった彼には「世界の最高の敗者にアメリカの人々からゴールデンカップを彼のスポーツマンシップにたいして送る」の言葉が送られました。晩年はティーバッグ、自動ティーバッグ機の開発にも取り組み最後まで飽くなき挑戦を続けました。

(参考文献)
「紅茶の文化史」春山行夫著(平凡社)
「オールアバウトティー」W・H・ユーカース

(金丸 瑠美)

MR.サートーマスリプトンが載っている商品シール