ホーム > おしえてTea Cha! > 茶の歴史 > お茶のヨーロッパへの伝来

ここから本文です。

お茶のヨーロッパへの伝来

1. 最初はポルトガル

お茶がヨーロッパに紹介されたのは16世紀で、いちはやく東インド(インド洋から太平洋海域をさす)に進出したポルトガルによってでした。ただし、それは文献によるものでした。

1569年、キリスト教の布教にあたっていたドミニコ会宣教師は国王に提出した覚書の中で「中国の高貴な家では、一人または数人の客が訪れるとチャ(cha)という一種の飲み物を供する。そのものは、やや苦い赤いクスリで、ある種の薬用植物の混ぜものでつくられている」と報告していました。ポルトガルは1516年に中国に来ており、1557年にはマカオに居住を許可されるなど、ヨーロッパの国でいちばん早く中国と接触し、1543年には日本の種子島に漂着して鉄砲をつたえるなど、東アジアで活発に活動していましたから東アジアの代表的な飲み物、お茶に接触し、紹介しても不思議ではありません。事実、後にイギリス王室に初めてお茶を持ち込んだキャサリン・ブラガンザ王妃はポルトガル王室の出身でした。

2. ついでオランダへ

実際にヨーロッパにお茶が紹介されたのは17世紀、1610年、オランダ東インド会社によってでした。お茶は中国産のものでした。17世紀になるとポルトガルは国力が衰え、かわって新興国のイギリスとオランダが東インドに進出してきました。とくにオランダはジャワ、中国や日本との貿易を活発化していました。

2000年に「日蘭交流400年」と名づけて日本各地で「オランダフェスタ」が開かれましたが、慶長5(1600)年にオランダ船「リーフデ号」が豊後(大分県臼杵)の海岸に漂着し、日本とオランダとの外交が開始されるきっかけをつくったからでした。それから400年がすぎ、2000年は日・蘭両国にとって記念すべき年となったのでした。

3. ヨーロッパ各国へ

お茶はオランダ東インド会社の船によって最初に港町アムステルダムに持ち込まれ、ここからヨーロッパ各国へ伝えられました。フランスには1635年ころ、ドイツには1650年ころ、イギリスにはやはり1650年ころそれぞれオランダから伝えられました。このうちイギリスだけにお茶が定着したのは王侯・貴族がお茶に砂糖をいれて飲んでいたからでした。その逆だったらこれほど普及することはなかったでしょう。人々は高いもの、高貴なものにあこがれるからです。フランスやドイツではワインやビールが一般的で、お茶がそれらにとって代るほどにはなりませんでした。

ロシアにはシベリアのアジア系住民を経由して伝わりました。ロシア語でお茶を「チャイ」というのは、茶の発音「チャ」が広東語系のものだからです。これはお茶が中国の北方から陸路を通じモンゴルやシベリアを経由して伝わったからでした。それ以外のヨーロッパではお茶の発音は福建語系の「ティ」から派生しております。これはオランダ東インド会社が南方の茶を海路、ヨーロッパへ伝えたからでした。

(参考文献)
紅茶の文化史 春山行夫著 平凡社

(森竹 敬浩)

上:江戸城における将軍とオランダ商館長との会見/下:オランダ東インド会社の本社(アムステルダム)