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紅茶のカップ

お茶と一体となっている茶わん(カップ)やきゅうす(ポット)などの茶器もお茶とともにヨーロッパにもたらされました。それらはヨーロッパにはないすぐれた道具でした。熱に強く、しかもお茶の味を変えなかったからでした。また、人々はその美しく、エギゾチックな文様にひきつけられ、東洋への関心を大いに高め、自ら磁器を作ろうとする動きがでてきました。最初がドイツ(マイセン)でした。

1. マイセンに磁器が生まれてきた理由

ドイツ(当時はザクセン)のアウグスト選帝侯は財政難を解決する手段として銀と同じくらい高級品であった磁器を生産しようと思いつきました。しかし、その製法はまったくわからないものでした。そこで化学者であり、錬金術士でもあったヨハン・ベトガー(1682~1719)(写真)を捕らえ、アルブレヒト城内に幽閉して研究・開発にあたらせました。ベトガーは苦心の末、1707年、ついに磁器を作ることに成功したのでした。

2. 極秘の製法が各地に伝播

磁器は財宝に匹敵するものでしたから、マイセンではその製法を極秘にしていたにもかかわらず各地に伝播していきました。技術者が逃亡したり、各国の王侯・貴族などに誘拐されたり、懐柔されたりしたからでした。その製法はつぎつぎとヨーロッパに広まりました。時代順に見ると次のようになります。

  • 1718年 ウィーン   (オーストリア)
  • 1720年 ヴェネツィア (イタリア)
  • 1751年 ストラスブール(フランス)
  • 1753年 ベルリン   (ドイツ)
  • 1761年 セーブル   (フランス)

3. もう一つの磁器、ボーンチャイナ

イギリスには磁器の製法は1768年ころ入ってきましたが、お茶の大量消費国にもかかわらず磁器の発達は遅れました。原料となるカオリンがなかったからでした。あるにはあったが成分が少ないものでした。そこでその不足を補うものとして牛骨の粉末を混ぜ合わせて焼成する方法がトーマス・フライによって発明されました(1774年)。これがボーン・チャイナ(Bone china)でした。これを改良して「ジャスパー・ウェアー」(写真)として完成したのは「イギリス窯業の父」ともいわれるジョサイア・ウェッジウッドでした。

4. ヨーロッパのブランドカップ(紙数の関係で一部だけの紹介です)

  • ドイツ/マイセン、SPドレスデン
  • フランス/セーブル、アヴィランド
  • イギリス/クラウン・ダービー ウエッジウッド、ミントン
  • オーストリア/アウガルテン
  • ハンガリー/ヘレンド
  • イタリア/リチャード・ジノリ
  • デンマーク/ロイヤル・コペンハーゲン
  • スエーデン/ロールストランド
  • フィンランド/アラビア
  • オランダ/ロイヤル・デルフト
  • アメリカ/レノックス

(参考文献)

「ヨーロッパの磁器」ヤン・ディビシュ 岩崎美術社

(図版説明)

上:1707年に磁気をつくりだしたベドガーは時に25歳でしたが、長い幽閉生活のなかで強いストレスからアルコール中毒になり、37歳でなくなりました。

下:磁器の肌にカメオ彫刻のような白い浮き彫り文様をはりつけたもの。ウェッジウッドはこれをジャスパーウェアとなずけました。

(森竹 敬浩)

上/ヨハン・ベトガー(1682~1719)の肖像 下/ウエッジウッドのきゅうす(ティーポット)ジャスパーウェアー