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江戸庶民の茶

17世紀から19世紀にかけて世界でも有数の巨大都市として
発展していた江戸でも、お茶はたいへんよく飲まれていました。

安土・桃山時代にひきつづき抹茶は武家や僧侶、公家などの間で茶の湯の嗜みとして定着するとともに、江戸をはじめ京・大坂の富裕な町人にも広がりをみせていきました。

いっぽう一般の庶民の間では、室町時代以来煎じ物売りなどによってお茶が売られ、人々がお茶を口にする機会も多くなっていました。こうした一般の人々の飲むお茶は高価な抹茶に対して、摘んだ茶葉を天日で乾燥させて仕上げたお茶や鍋や釜で炒ってつくった釜炒り茶で、茶釜で煮出したりして飲んでいました。

18世紀半ばにはながたにそうえん永谷宗圓(1681〜1778)ら宇治近郊の茶農家によって新たに開発された蒸し製煎茶の製法が誕生しました。このお茶は大消費地江戸に送られ、江戸っ子の人気の的となりました。さらに19世紀中頃になると、日光を遮って生育させた茶葉を用いた濃厚な甘味が特徴のぎょくろ玉露もつくられるようになり、江戸のお茶屋では様々な種類のお茶が販売されるようになりました。

商品経済の社会がすすんだ江戸では景勝地や神社仏閣の門前などに茶店がたちならび、道行く人々にお茶が売られていました。なかには美しい女性を店の看板娘として給仕をさせることで評判となり、男性客に人気の茶店も数多く登場しました。このようなお茶の広がりは俳句や川柳、童歌などにもみられ、お茶を詠んだものが数多くつくられるなど、江戸時代には庶民の生活の中にお茶が根付いていきました。

(参考文献)
『日本の茶 お茶と文化』角山栄編 ぎょうせい 1988
『茶の湯絵画資料集成』 赤井達郎ほか編 平凡社 1992
『世界のお茶日本のお茶』 熊倉功夫ほか 金谷町お茶の郷振興協会 2000

(望月 伸嘉)