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番茶は茶の歴史を物語る

番茶というと、つい下級品や規格外の安価なお茶のことだと思ってしまいます。でも、今のような蒸し製の煎茶が民間に出回るようになったのは江戸時代の中頃以降のことで、それまで各地各様の製法で自家用に作られていたお茶を総称して番茶といいます。

興味深いことに番茶は茶の商品化が進んだ、いわゆる茶産地にはあまりみられません。少しでも高い茶をつくろうという努力が、古い番茶をどんどん駆逐してしまったからです。反対に、西日本の山沿い地域では、今でも近くの茶を摘んで自家用の番茶を作っている家がけっこう残っています。その作り方、飲み方には、古いお茶の姿が隠されている、といってもいいでしょう。

たとえば、福井県勝山市には秋に茶の枝を鎌で刈り、縄ですだれのように編んで軒先に吊るしておくだけの、陰干し番茶があります。飲む前に鍋で軽く炒って煮出すもので、ちょうど薬草と同じ方法で利用されています。その意味では、非常に古い時代の茶利用の姿を残すものともいえるででしょう。

また現在の蒸し製の煎茶が普及する前にはごく普通のお茶であった釜炒り茶は、九州や四国の山間部で作られていて、根強い愛好者がいますし、四国各地には蒸してから漬け込んで発酵させた茶葉を天日干しにするという変わったお茶も残っています。

番茶にまつわるさまざまな習慣は、中国西南部やタイ北部、ミャンマーなどのいろんな民族に共通するものがあります。番茶はアジア地域共通の茶文化です。日本人の茶文化に対する観念をかえせる力を番茶はもっています。

(中村 羊一郎)

陰干し番茶を作る(福井県勝山市)