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イランの茶

イランの喫茶の歴史は、15世紀の終わりにさかのぼります。喫茶の風習はイランの商人によって中国からもたらされました。それまでは、大部分のイラン人はもっぱらコーヒーを飲んでいました。しかし、コーヒーの産地が遠く離れていたため貿易上多くの困難がありました。それに対して中国とはシルクロードで結ばれていたので人々は容易に茶を手に入れることができ、瞬く間に喫茶の風習が全国へ広がりました。茶の需要増加により、国は中国から大量の茶を輸入しなければならず、貿易の不安定さから自国での茶の生産を試みるようになりました。

1882年、インドから種子を入れて栽培を試みたが失敗しました。さらに1899年、インドに駐留していたモハメッド・ミルザは3000本の茶の苗木を北インドのカングラから持ち帰り、カスピ海の南岸ギランで栽培をはじめました。そこの気候は茶の生育に適していたため、以後、ギランとマザンドラン地方に茶の栽培が広がりました。

1934年に近代的な工場が建てられて以来、この地域には現在107の茶工場と約32000ヘクタールの茶園があります。多くはダージリンに似た丘陵地にあります。作られているのは、紅茶で、その大部分はオーソドックスタイプです。水色は赤く、軽めでミルクなしで飲むのに適しています。1992年の生産量は約5万6千トン、輸入量は前の年より大幅に減って3万5千トン、消費量は9万5千トンとなっています。消費量は増加傾向にあるので、国は育苗圃をつくり生産の増加を図ろうとしています。

(参考文献)

Proceedings of TEATECH 1993(India) 48-51

(小泊 重洋)