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家元制度

日本では古代からさまざまな専門的技能をともなう仕事は特定の家や一族が行うものとされ、その職能をもって朝廷に奉仕してきました。しかし古い秩序の崩壊にともなってその経済的基盤を失うと、その技能の伝承の中に特別な秘伝をつくり、技術の相伝によって専門的技能をもつ家としての権威と地位を維持してきました。そしてその特別な秘伝の相伝権を持つ人こそが家元でありました。

茶の湯の世界において利休の死後、古田織部、小堀遠州へと引き継がれた茶の湯の流れは将軍や諸大名の武家茶道として受け入れられました。いっぽう利休の孫千宗旦によって再興が図られた千家は千宗左の表千家、千宗室の裏千家、そして千宗守の武者小路千家の三千家に分かれ藪内家とともに元禄時代以降、新しく台頭してきた町人に受け入れられていきました。

茶が一つの遊芸としての性格をもち、広く町人社会に行き渡るようになると、家元はいくつかの免許の段階をつくり、弟子たちは徐々に免許状を取得し、最終的に免許皆伝となるのです。茶道を習う人はこの免許状の取得を目指し稽古に励むのですが、その際、相伝権は名取りの弟子にも与えられ、弟子をとって教えることができるのですが、免許状の発行権は流派の総元締めである家元が有し、家元が弟子に免許を与えることとなります。こうした家元を頂点とし、名取り門弟、弟子といった厳格な上下関係にもとづく制度が家元制度です。

(参考文献)

『日本の茶 お茶と文化』角山栄編 ぎょうせい 1988

(望月 伸嘉)