ホーム > おしえてTea Cha! > 茶の文化 > 茶の湯の歴史

ここから本文です。

茶の湯の歴史

鎌倉時代のはじめ栄西(1141〜1215)によって薬としてもたらされた抹茶は、禅宗寺院を中心に普及し始め、のちに嗜好飲料として飲まれるようになりました。それとともに日本各地に茶産地がつくられ、徐々に日本人の間にお茶が広まっていきました。

やがて南北朝時代になると各地の茶を飲み当てるとうちゃ闘茶が行われ、お茶は一方で娯楽性を帯びたものに発展しました。さらに室町時代には中国の美術工芸品を飾り立てた座敷で、お茶を中心とした宴会が流行し、茶は娯楽性の強いものとなりました。

こうした遊興娯楽のお茶に対し、禅の思想や中世の隠者文学の影響をうけ、世俗を離れた生き方を理想とする茶の湯(侘び茶)のスタイルがうまれました。

大徳寺の僧一休宗純(1394〜1481)に禅を学んだ村田珠光(1422〜1502)はそれまでの唐物中心であった茶道具に日本の信楽や伊賀などの素朴な茶陶を取り入れ、茶禅一味を旨とする幽玄閑寂の境地を求める侘び茶を創案しました。この思想は京や堺の富裕な町衆の間に受け入れられ、武野紹鴎(1502〜1555)によってさらに押し進められていきました。

こうした堺の町衆のなかの一人千利休(1522〜1592)はやつしの美を表現する茶室や茶道具、作法を一体とする茶の湯の世界を大成しました。また彼は時の権力者である織田信長や豊臣秀吉の茶頭としても活躍し、天下一の茶の宗匠と称せられました。そして彼の茶の湯のスタイルはその後の茶の湯の展開に大きな影響を与えました。

(参考文献)
『図録茶道史』 林屋辰三郎 淡交社 1980
『チャート茶道史』 谷端昭夫 淡交社1995
『茶の湯の歴史』 熊倉功夫 朝日新聞社 1990 
『世界のお茶日本のお茶』 熊倉功夫ほか 金谷町お茶の郷振興協会 2000

(望月 伸嘉)